チョロQな生活

大学生活4年目に差し掛かった僕が、学生に伝えたいことをつらつらと

チョロQな生活

大学4年生がつらつらと誰かに

「ごめん」より「ありがとう」を

もともと気になってたことが思考として頭の中にきたので

せっかくならメモ程度にまとめます。

 

すいませんやごめんの多様性

僕は海外を訪れたことがないのでいまいちなんともいえませんが、

ごめんねの意味でも

ありがとうの意味でも

日本人はすいませんやごめんねといった言葉をよく使う。

 

なぜ多くの人は使うのだろう。

エレベーターのドアを閉めることを待ってくれたときに言うすいませんは

相手を待たせたことや、わざわざその開ける行為をさせたと感じるからなのか

 

それとも、ありがとうというニュアンスで

開けてくれてありがとうと伝えることなのか。

 

どちらの視点や立場にたっているのか

1つ思ったことは

すいませんという時には申し訳なさもあるが、相手からしたらどう思うだろうかという点において”すいません”が根付いているのかもしれない。

 

気をつかいすぎるというのはこういうことなんじゃないか。

相手が善意でしてくれた行為であるなら、僕は素直にありがとうが聞けると

今の世界がちょっとだけよくなるんじゃないかなんて思う。

 

幸せの変化

最近は社会として成熟することで、人の幸せが昔と比べると大きく変わった。

ご飯はでてくるし、おしゃれできる。そんな日が毎日続く中で、僕達の悩み事も

少しずつ変わってきているのではないだろうか。

 

だんだん変わってくるなかで自分だけじゃやなくて、周囲や世界を見る余裕がでてきた僕たちはそれを知ることでまだ目指す世界はあると感じている。

今ある幸せだけじゃ満足できない。

でも地球の反対なんて変えるのは簡単じゃないし、目の前の人1人も難しい。

 

だから、今の人たちは自分の幸せの範囲を小さなところで限定することで

その幸せを保っているんじゃないかなんてことも思ったり。

 

まあ、そんな中だからこそ

誰かにありがとうと言って喜んでくれるほうがすいませんより気分がよくなるし

ちょっとずつ幸せの範囲を大きくできればと思います。