チョロQな生活

大学生活4年目に差し掛かった僕が、学生に伝えたいことをつらつらと

チョロQな生活

大学4年生がつらつらと誰かに

人生で大事にしたいこと

どうやって生きていきたいかとか、誰を幸せにしたいとか

まあ、彼女と結婚するの?なんてことや課題解決がいいの?という考えを一通りしてみました。

 

人生の分岐点に立って感じること

就職活動をし、1人旅で人生について考え、読書をしました。

この先僕がどうすれば幸せになれるのがだろうか。

 

この考えが終わることはないでしょう。


ただ、自分の根底にあるものを理解したうえで
それを実現する選択肢を数ある中から選んでゆく。

 

これが大切なことだと感じます。

 

何かを達成する方法はいくつでも存在します。

そのなかで自分への適性やその時のタイミング、出会い、気持ち

そんなもので道を選んでゆくのが人生です。

 

為末大さんの本を読んで感じることは、

目的を大事に、自分にとって1番の人生を自由に作ることでした。

 

あなたは人生で何を大事にするのという問

結論から書くと、

「自分が正しいと思うことを貫き通したい」

これが円の中心にあるような気がします。

 

だからこそ、自分の身の回りで起こる正しくないことは

許せないし、なんとかしたいと考えてしまう。

 

他人の目がどうしても気になる

僕はそうです。

Facebookも特に興味はないはずなのに、記事を書いてみようかと考える。

そんなときの動機は、他者からの評価でした。

 

「いい記事をかけばイイねがつくだろう」

「なんかいいこと書いて、後で見てもらいたい」

 

こんなもんです。

 

彼女との別れを嫌がる僕のなかには、
別れたことで周囲からの哀れみなどの視線を恐れる感情がありました。

 

この先もこんな考えで人生生きていくの?

自問自答するなかで僕は考えました。

 

現状の僕は自己評価と他者評価の割合が2:8ぐらいです。
今後は5:5で生きて、他者からの評価や社会での位置取りを理解しつつ

自分の思いで生きていけるよう努力します。

 

これが僕だということ

誰かの順番を抜かすことや、正しい声が通らないこと

これらは不条理なのかなと思いそうだったけど、災害でつらい思いをしている人たち自体は

生きていてダメージを受けていないなら問題ないし、住むところで嫌な思いをするなら

それはなんとかしたい。

 

これらは不条理でくくることはできません。

かといって誠実というワードでもくくることもできません。。

 

結局いろいろなもので形成された正しい、こうあるべきというものにしたがっていてほしいという自らのエゴでした。

 

ここに対して本気になれる領域は自分とその周囲ぐらいです。

本当はこれを社会や目のつくもの全てなんて言えたらかっこいいし、そうあるべきなのかと

思ってしまうが、実際のところ動かないし、本気になれない自分がいます。

 

現段階ではこの自分の正しいという感性を言語化しつつ、

それを体現する組織をつくること。

さらには僕の関わる人たちを助けること。問題や課題を解決すること。

というかその状態をなくすことに尽力します。